ハワイアン桜友会 平成24年7月1日(日)百周年記念会館大ホールにてハワイアン桜友会主催のチャリティ・メレ・フラ・コンサート「第9回 アイランドサウンドフェスティバル」が開催され600名を超えるお客様をお迎えして大成功のうちに無事終了いたしました。本院OBの主催するバンドをバックに、OGの主催するフラチームを含め、総勢9チームの参加を得て、例年以上の盛り上がりを見せたコンサートとなりました。ご来場いただいた方々、ご参加いただいた方々、そして開催にご協力くださった皆様に心から御礼申し上げます。
政経学部 政治学科 37年卒 平田 邦彦
「文化部」カテゴリーアーカイブ
放送研究部春秋会 第二回総会開催報告2012
放送研究部春秋会・第2回総会の開催報告
去る5月12日(土)に、学習院放送研究部OB/OG会「春秋会」第2回総会が、昭和33年から平成8年卒業までの53名(会員数163名)が参加し、学内の「目白倶楽部」にて開催されました。
総会は13時に開始。昭和33年卒業の山本時雄会長からの挨拶の後、昨年度の活動報告、会計報告、今期の活動予定が発表され承認されました。
その後、学習院大学名誉教授の左近司祥子先生より、「今になって、なぜ「絆」?」と題し、ご講演いただきました。私たちが、みな同じ放送に対する思いを持って活動し、世代を超えて卒業後も、このように一同に会していることをご賞賛くださり、参加者からも喜びの声が上がっておりました。
引き続き行われた懇親会では、近況を確かめ合い、懐かしい話題に華が咲き、あっという間の2時間でした。15時に全員で記念写真をとり、来年の再会を約しお開きとなりました。
「同笑会」(男女中、高等科演劇部OB.OG.会)のご報告
平成24年(2012)春、会の発足60周年を迎えました。
昭和27年発足当初は松尾文夫とオノ・ヨーコが部の委員長でした。
発足から50年の歴史を、<a title=”同笑会” href=”http://203.211.161.54/obog/
「同笑会クラブ」
平成12年(2000)から、会員と旧制高等科の先輩、同窓生、家族が集う月例サロンを設けました。
場所:「ウエスト」渋谷宮益坂上
日時:毎月第三木曜日 午後6時から9時
代 表:松尾 文夫(昭和31年大学卒)
事務局:鈴木喜久男(昭和41年大学卒)
世話人:鈴木 浩子(昭和34年女子高等科卒)
<img src=”https://www.gakushuin-ouyukai.jp/wp/wp-content/gallery/hojinkai_culture/matsuo.jpg” alt=”matsuo” />松尾代表の60周年祝辞
<img src=”https://www.gakushuin-ouyukai.jp/wp/wp-content/gallery/hojinkai_culture/young.jpg” alt=”young” />若手参入
<img src=”https://www.gakushuin-ouyukai.jp/wp/wp-content/gallery/hojinkai_culture/all.jpg” alt=”all” />オール学習院参加のテント会場風景
<img src=”https://www.gakushuin-ouyukai.jp/wp/wp-content/gallery/hojinkai_culture/ijyu.jpg” alt=”ijyu” />今年2012年、喜寿を迎えた会員の祝賀会
同笑会
同笑会の五十年
男・女高演劇部卒業生が、同笑会を立ちあげてはや五十年が経ちました。
平成15年10月3日(金)に霞会館に会員四十数名が賑々しく集い、「同笑会五十周年の会」を祝いました。
初代女子部委員長だったオノ・ヨーコも遠く紐育から駆けつけ、事務局が纏めた「同笑会の足跡」(写真中心の年史)を各自手にしながら暫し半世紀の時空を超え青春の香りを蘇らせ、至福の一時を過ごしました。
同笑会の活動
同笑会は、昭和27年に男女中・高等科演劇部の卒業生を中心にしてつくられた伝統あるOB会です。最近では会員はもとよ り会員の家族、友人や知人にも輪が広がり、桜友会の中でもユニークな親睦の場となっています。毎月第三木曜日に開いている「同笑会クラブ」には、毎回、 15名前後の方々が集まり、講師の話を聞いた後、食事をしながら近況や昔話に花を咲かせています。「オール学習院の集い」にも昭和63年以来参加しており ます。毎年、北別館前の会場は多くの会員で賑わいます。大学戯曲研究会OBを加えて開く「コンパーティー」(年一回)も楽しい会です。いつも70名前後の 方々が集まります。その他、誘い合って観劇、各種コンサート、日本舞踊の会やエコトレッキング等に出かけています。これらの行事へのご参加をお待ちしてい ます。
同笑会クラブ案内 日時 毎月第三木曜日 18時~21時
場所 レストラン「ウエスト」TEL 03-3400-0428
西村節子さん経営(旧姓江崎・32女高卒)
会費 三千円
青春の香り「男女合同公演」のエネルギー
そのころ音楽部以外のほとんどの部活動は、目白と戸山の間に「ベルリンの壁」があり、合同公演はご法度だった。男だけ、女だけでは良い脚本が見つからない現実と、音楽と演劇のどこが違うのかという「正義感」から学校当局に直訴を試みることになった。
- 私と木下崇俊君でなんと古賀軍治女子高等科長の部屋まで出向いた。謹厳そのものの古賀先生はダルマストーブの上で温めておられたミルクが沸き立つのも忘 れて驚愕された。答はもちろんノーで、ごく最近某先輩から聞いた話では、先生は当時身内の方に「演劇部の奴が煩くて困る」とぼやかれていたそうだ。
- 安倍能成院長の自宅まで我々はおしかけた。部長だった小高敏郎先生、顧問の山上正太郎先生、鈴木力衛先生、金澤誠先生らの後押しがあったと思う。着流し で現れた院長は「君達の言うのは尤もだけど」とうなずかれた後絶句。ややあって「もう一寸待て」と言われた。その時の院長の何とも愉快そうな暖かい眼差し は今も目の前にある。
- その院長をはじめ、多くの先生方が鬼籍に入られて久しい。しかし、当時の学習院は、院長や先生方との距離が本当に近かったとつくづく思う。
- 同26年の文化大会には義宮様(現常陸宮殿下も舞台作りに参加された。
演目は岸田国士作「椎茸と雄弁」。演出は三谷礼二氏 - そしてキャンパス内では、敗戦と占領下のショックの中から何とか立ち上がろうと、いろいろな人がいろいろなことに誇りをもって挑戦していた。えもいわれない熱気があった。常陸宮殿下(当時義宮殿下)も演劇にご関心が深く、裏方の仕事を一生懸命やっておられた。このままで収める訳にはいかないと、昭和27年の卒業式直後、「男女高等科演劇部卒業記念公演」と銘うってチェーホフの「熊」を上演した。主演女優は女 子部委員長だった小野洋子(現ヨーコ・オノ・レノン)。相手役は岡田茂弘。私が演出した。梶本孝雄、故三谷礼二両君ら双方の現役も「送別」を理由に大いに 協力、以後少しずつ「ベルリンの壁」は崩れていったのだと思う。この団結が今も瑞々しく約十年の世代の幅で維持されている。毎月必ず20名を越す仲間が西村節子(旧姓江崎)さん経営の渋谷「ウエスト」に集まる。ヨー コ女史も次の来日時には「行くわよ」と言っている。最近ではその家族、友人、縁者、さらには演劇部ではなくても学習院での青春に思いを温める人達まで加 わってユニークな輪が広がっている。輔仁会OB・OG桜友会にも入れていただいた。
- 残された唯一の仕事は、現役との接触再開である。
- 昭和26年文化大会参加。倉田百三作「俊寛」を松尾文夫氏が演出。
作曲とピアノを福田一雄、フルートを二階堂誠也、シンバルを岩城宏之、
琴を吉田ひろみの各氏が担当し
- 女子部では・・
- 「男女合同公演」への情熱は下級生に受け継がれたが、女子部の先生方の拒否反応は強かった。
昭和32年、森村桂がキャプテンになると、その個性を発揮して再三学生部長や演劇部長に食い下がった。 しかし、部員にはお妃候補と噂される令嬢もいたので、以前にも増してガードは固くなった。
ところが、翌年7月、男子部キャプテンの岡田正と女子部キャプテンの石川紀代子は、秋の文化祭に向けて福田恆存作「幽霊屋敷」の戯曲を選び、主演に富田 勝義、相手役に岡野浩子と小林哲子、双子役に渡邊幸次郎と鈴木喜久男を組ませるなど、初の「男女合同公演」の構想を発表した。
部長の近藤不二先生がどれほど奔走されたか計り知れないが、生徒はごく自然に受け止めて練習を重ね、公演は大成功だった。公演開始時、降り出した雨を逃れて講堂に駆け込んだ人々で満席になったおかげもある。
落研と間違われるような本会の名称が、会の発足後2年目にして未だ決まらないのを、「どうするんだ」「どうしようか」「どうしよう会でいいや」で、「同笑会」になったという、他愛のない謂れであるが、名付け親たちの大らかな気質は連綿と現在に至っている。 - 昭和26年の文化大会にて。演目は榊原政常作「外向性168」。
前列中央の小野洋子氏(現ヨーコ・オノ・レノン)は翌年春、男子部卒業生とチェーホフの「熊」を合同公演し主役を演じた
- 森村桂(中央)は自ら戯曲を書く個性派だった
ジャズ桜友会
ハワイアン桜友会「第8回アイランドサウンドフェスティバル」2011開催報告
平成23年7月3日(日)に学習院創立百周年記念会館大ホールにて、第8回チャリティメレフラコンサート「アイランドサウンドフェスティバル」を開催いたしました。猛暑にもかかわらず、大勢のお客様にお越しいただき大いに盛り上がりました。
ハワイアン桜友会 事務局 平田 邦彦
放送研究部春秋会・設立総会の開催報告2011
去る5月14日(土)、学習院放送研究部OB/OG会「春秋会」設立総会が、桜友会・耀副会長にご出席賜り、昭和32年から平成11年卒業までの、61名(会員数145名)が参加、昨秋新装なったラウンジ「目白倶楽部」にて開催されました。
設立総会は定刻の14時に開始、昭和33年卒業の山本時雄発起人代表からの設立趣旨説明があり、桜友会・耀副会長から「ご祝辞」と「今年桜友会は設立90周年を迎え、“一般社団法人学習院桜友会”として生まれ変わり、100周年へ向けて新たなスタートを切る」等々のお話を頂戴致しました。
議長選出(昭和41年卒業・高橋勝彦さん)ののち、議案審議に入り、会則の承認・役員の承認の各議案が満場一致で可決致しました。
その後、山本春秋会新会長より、会の運営方針等の説明がありました。
引き続きおこなわれた懇親会では、懐かしい話題に華が咲き、会が進むにつれ約40年の卒業年度差も埋まりアツという間の2時間でした。定刻16時30分に全員で記念写真をとり、来年の再会を約しお開きとなりました。
S44年卒 加藤正彦記
月例「同笑会クラブ」
学習院俳句会
桜しべ踏みて母校の月日かな 津端きしを
(第24回「オール学習院の集い」俳句会最高点句)
●学習院俳句会合同句集「岩ひばり」第1句集(昭和31年刊)に寄せられた
小宮豊隆先生(当時学習院大学教授 文学部長)の序文
この句集の名前をつけてくれと頼まれた。私は日郎君の「天涯に雲たむろせり岩ひばり」の句が気に入ったから『岩ひばり』を句集の名前にしたらどうかと思った。
しかし「岩ひばり」といふ言葉を、私は聴いたことがない。それで私は、手近の角川書店の『俳句歳時記』を探してみたが、それには「岩燕」はあるけれど、「岩雲雀」はない。しかもこの句は「岩ひばり」といふよりも「岩つばめ」といった方が、私には遥に適切である気がするし、殊にこの句が気に入った理由も、私の眼は「岩ひばり」と読んでゐたにも拘らず、私の頭はそれを「岩つばめ」と受け取ってゐたせゐであったやうに思ふ。しかし日郎君のこの句は、「ひばり」と「つばめ」と書き誤ったのではなく、事実日郎君は白馬岳で「ひばり」を見たので「つばめ」を見たのではなかったのかも知れない。もしさうだったとすれば、私はこの句集の名前を、一往は『岩ひばり』といふことにして、実際は『岩つばめ』を意味するのだといふことにしてはどうかと思ふ。
もちろん外の諸君が、そんな無理な名前は困るといふやうだったら、この案は撤回するより仕方がない。
昭和三十一年十二月十一日 小 宮 豊 隆(原文のまま)
(注)日郎君:岡田日郎(31年国文) 「山火」主宰 俳人協会副会長
●合同句集「岩ひばり」発刊
学習院俳句会合同句集「岩ひばり」の第11句集が平成22年10月発刊されました。参加52名、各20句、計1040句の作品が収められています。ご希望の方は世話人まで。(残部僅少)
●新春俳句会開催
恒例の新春俳句会が平成23年1月19日「霞会館」において開催されました。句会には過去最高の38名が参加、句会後の懇親会ではワインの杯を傾けながら、和気藹々のうちに歓談が尽きませんでした。
☆新春俳句会自選句(順不同)
俳縁の輪の広がりや日脚伸ぶ 山縣輝夫
母祖母と歌詞をつなげて手毬唄 津端きしを
酒蔵へ引き水ひびき初明り 青麻やす子
人日や浅草裏の昼遊び 網野月を
鉈一閃円空佛の眼冴ゆ 石田 等
寒鴉翔ちたる大樹昼暗し 出田浩子
東雲の奥羽山稜初日影 伊東鄙人
東西の窓開けしばし初外気 稲村節子
岩ひばりいよよ高みに去年今年 井原毬子
最後とのことわり増ゆる賀状かな 岩波清子
元旦や音色の鈍き酒をつぐ 宇井野靖子
水盤に水をさしをり松の内 宇井野洋子
少年の声変りして年明けぬ 上田美津
山上湖溢れゐるらし冬の滝 江島新子
せせらぎの落葉溜まりを避け流る 梶本若水
廻りつつ独楽文様の静かなり 葛生みもざ
大正に近付く昭和海鼠餅 栗林 浩
初富士のいつもの貌でありにけり 佐藤石松子
初暦顔の高さに掛けにけり 佐貫亜美
初詣列長々と諏訪大社 鈴木由紀子
鷽替へて余生の扉開きけり 鈴木良子
元旦や街の静かさ清々し 十河弘子
あの世までつひに煤逃げしおほせし 多田野分子
海底のやうな日暮や海鼠噛む 伊達公子
若水のせんせんと玻璃満しけり 筒井カヨコ
着膨れて腹も膨れて千鳥足 中島 泉
去年今年想ひ万感朝の風呂 西川謙子
食卓のクロスの強さ年明くる 西島晃彦
いや高き空の極みへ初雲雀 二ノ宮浩子
白鳥の珠解く飛翔日をこぼし 長谷川祥子
友の手になる京かぶら届きけり 林なおみ
松の葉に真珠玉持つ初日かな 松井ゆかり
エチオピア大使公邸松飾る 宮田應孝
知恵の輪のどうにもならず切炬燵 茂木好夫
貨車過ぐる枯野の音となりにけり 森下義彦
富士仰ぐところに坐して大旦 湯口昌彦
初御空つがいの鳩に追き越され 吉田光子
戦略のあるが如くに鴨並び 吉原正展
【当日の写真】
●下記の会員各氏の第1句集が刊行されました。おめでとうございました。
宮田應孝(30年政経「澤」同人) 『新涼』平成21年11月刊
筒井カヨコ(35年英文) 『華さび』平成22年4月刊
津端きしを(33年政経「狩」同人)」 『端居』平成22年6月刊
●学習院俳句会の活動状況
句 会 毎月1回開催
吟行会 随時開催
「オール学習院の集い」参加 どなたでも参加自由の天幕句会開催
合同句集「岩ひばり」発行(不定期)
●学習院俳句会は超結社の楽しい句会です。
学習院卒業生で参加ご希望の方は、下記の世話人までご連絡ください。
●代表者 津端隆二 (33年政経)
世話人 二ノ宮浩子(33年英文)
TEL/FAX 047-343-3812
第9回放研シニア春秋会の開催報告2010
新緑の風薫る5月8日、霞が関ビル34階の「霞会館」において第9回放研シニア春秋会が開催されました。
桜友会からは耀副会長のご臨席を頂き、総勢41名の会員が参加されました。
最初に山本会長よりご挨拶があり、「最近仲間に会うと、孫と病気の話ばかり、今日はそういうことは忘れて大いに楽しもう!」と参加者に話かけられたのに続き、桜友会の耀副会長からは、ピラミット校舎の跡地に完成した中央教育研究棟12階に桜友会が利用できるラウンジが秋には開設されること、また現在学習院が進めている「教育改革推進資金」のご協力依頼の話がありました。今回は趣向を変えて、第1部に教養カルチャーを企画し、講師に当部出身のアナウンサー石井和子(旧姓山口)さんを迎えて、講演をお願いしました。演題は「天気で語る 源氏物語-平安の気象予報士 紫式部」。石井講師は長く気象予報士会の会長を務め、講演と同名の著書で日本文芸大賞研究優秀賞を受賞するなど、多くの分野で現在も活躍中です。紫式部が生きた平安の雅の世界にも厳しい季節の移り変わりがあった、ことが印象に残りました。
その後、懇親会に移り懐かしい仲間たちの笑顔に華が咲いた様な雰囲気があちらこちらに……、楽しい時間が瞬く間に過ぎていきました。
来年もまた、是非お会いしましょう!!
<訃報>
砂田昌宏さん(S36卒・政経)71歳
シニア春秋会には毎年必ず参加され、今回も快活なご様子で参加されておりましたが、6月22日に急逝されました。 故人のご冥福をお祈りし、謹んで皆さまへお知らせ申し上げます。
合掌 (S41法 千葉記)