アルバータ峰初登頂100周年記念登山
学習院山岳部OB・OGによる「山桜会」は、1919年(大正8年)に設立され、戦後も72件に及ぶ海外遠征を実施してきました。
その中でも、関東大震災の傷跡も癒えぬ1925年(大正14年)、日本初の海外遠征としては、カナディアン・ロッキーで唯一の未踏峰であったアルバータ峰(標高3619m)への挑戦が挙げられます。この遠征により、学習院山岳部はアルバータ峰の初登頂を成し遂げました。今年、2025年(令和7年)はその偉業から100周年を迎えます。
これを記念し、日本山岳会は「登頂100周年記念登山」を実施する予定です。現地での登山は7月末から8月中旬にかけて行われ、学習院山岳部OBの山上耀一郎氏(令和2年文学部日本語日本文学科卒)が登頂に挑みます。
さらに、カナダ・ジャスパーで開催される日本山岳会とカナダ山岳会の友好式典には、前学長の荒川一郎先生ご夫妻や山桜会関係者が出席する予定です。
伝説のピッケルと学習院の歴史
アルバータ峰初登頂の際、高等科山岳部OBである岡部長量氏と波多野正信氏は、OBの細川護立氏から託されたピッケルを山頂に置きました。このピッケルは「伝説のピッケル」として語り継がれることになります。
当時、このピッケルが「皇太子殿下(後の昭和天皇)から下賜された銀のピッケル」と誤解され、その伝説がカナダやアメリカの登山界で広まりました。以降、多くの登山隊がこの伝説を追い求め、険しい岩場に挑みましたが、いずれも登頂に失敗していました。
その後、1948年(昭和23年)、アメリカ山岳会が第2登に成功。この際、「下賜された銀のピッケル」という誤解が解けました。しかし、アメリカ山岳会がピッケルを持ち帰る際、岩と雪に凍り付いていたピッケルを引き抜く過程で折れてしまいました。
その後、学習院山岳部OBが長年の捜索の末、ピッケルを発見。1997年(平成9年)、当時の皇太子殿下(現天皇陛下)と橋本龍太郎総理大臣の前で、分かれていたピッケルを合体させました。現在、このピッケルはカナダ・ジャスパーにて日本とカナダの友好の象徴として保管されています。
1996年の70周年記念登山
アルバータ峰初登頂から70年を迎えた1996年(平成8年)、山桜会では「70周年記念登山」を実施しました。この遠征にはOB・OG9名が参加し、そのうち1名が登頂を果たしました。
アルバータ峰は標高こそ低いものの、高緯度地帯に位置しているため、過酷な環境下での登山が求められます。また、天候が非常に不安定な山域であることから、現在も頻繁には登られていない特異な山として知られています。
次世代に受け継がれる挑戦
学習院の150周年を控える中、この歴史的なエピソードは、先輩から後輩へと受け継がれる挑戦の象徴です。山桜会は、この偉業を多くの卒業生に知っていただけるよう、引き続き活動を続けてまいります。これからも多くの卒業生に、この挑戦の精神と歴史を共有していただければ幸いです。
山桜会
会長 加藤 洋(昭57済)
運営委員長 平澤 信一(昭62政)


