「脈々と受継がれる学習院柔道の歴史」
平成十八年一月二十八日(土)午後三時より百周年記念会館に於いて嘉納講道館長を始め多数のご来賓、柔桜会員、学生一七〇余名が出席して「学習院柔道百二十年・柔桜会五十周年記念祝典」を開催しました。
又この日、記念事業として進められてきた学習院柔道百二十年史が刊行し、出席者に披露されました。
学習院柔道は、明治一五年(一八八二)嘉納治五郎師範が学習院高等科教師に就任し、講道館を創設した翌明治一六年(一八八三)に院内に柔道場が完成すると同時に柔道が学校の正科として日本で初めて採用されることにより始まりました。以来今年で一二三年目を迎える学校柔道としては日本最古の歴史をもっています。
師範は教育者としての理念、情熱、能力を初代立花種恭院長、二代目谷干城院長に高く評価され教育実務を任されていました。師範は柔道を通じて人格品性に重きをおき、かつ人間としての平等の精神を学ばせたと考えられます。師範の「よい教育をしてよい人間を学校から送り出す」という教育理念により誕生した学習院柔道は学校柔道としての特徴をもち、いまなお色濃く残しています。
出席者は学習院柔道の黎明期から戦後復活の歴史をあらためて知りその重みを強く実感しました。
学校教育の正科の中から誕生した学習院柔道部は、学校柔道の特徴を持ち現在も残しています。戦後も高等科柔道部は高等科OBの応援によりいち早く復活し、大学柔道部にもその伝統が引き継がれました。従って柔道部には運動部にありがちな上級生が下級生に対して無為に威張るという悪しき伝統はありません。同じ畳で修業する仲間として互いに認め合い切磋琢磨する学習院柔道の特徴はこうした長い学校柔道の伝統とOBの支えにより培われてきたものだと知り感動しました。
学習院柔道百二十年史 「今作らねば、その機会はなくなってしまう」
学習院柔道百二十年史編纂は、当時、学習院院長を務めておられた島津久厚柔桜会名誉会長の一言で平成一三年から始まりました。学習院柔道百二十年史は、学習院柔道百十五年の歩みの編纂を含めれば七年、その編纂だけでも五年余の歳月をかけ、織部編纂委員長始め編纂委員の努力によりようやく刊行しました。明治・大正・昭和・平成に亘る一二〇年の長い歴史の散逸する資料や貴重な文献・関係者の方々のお話を求め東奔西走し、幾度となく編纂会議が開かれました。亡くなられた先輩方も多く、貴重なお話も聞けず、もっと早く始めたらと残念な思いが多くありましたがぎりぎりの時間の中で完成することができました。
学習院柔道百二十年史は学習院の柔道史であるとともに、日本の柔道史にとっても黎明期の柔道と学校柔道の歴史を伝える貴重な一冊となったと思います。