漕艇部の歩み

学習院の部活動で最古の歴史をもつ「漕艇部」。その歴史は、明治24年11月の東京府尋常中学校(都立日比谷高校)学友会の第1回競漕会に参加したことから始まった。
発足当初の名称は「端艇郡」。明治25年には、部で初めてとなる端艇3隻(いぶき、のわき、はやち)を新造した。当時端艇を持っていた学校は、東京帝国大学や高等商業学校などの2、3校。大変貴重なものであったことは想像に難くない。
同年10月、皇太子殿下(大正天皇)の臨席を仰ぎ、墨田川で進水式が行われた。この時、殿下から賜った御下賜金で「優勝旗」を製作。明治27年の「輔仁会端艇競漕会」からこの優勝旗争奪戦が繰り広げられ、以後毎年競漕会が開かれるようになった。
明治33年に名称を「水上部」に変更。明治41年の「全国中学校選手競漕大会」参加をきっかけに、対外的な活動も始まった。大正13年「第1回全日本スカール選手権」を獲得。以後、昭和3年からおよそ10年に渡り選手権を獲得し「スカール王国学習院」の名をほしいままにした。
昭和18年には、現後援会会長の中野新一郎氏が、海の記念日海洋競技大会スカール競漕で、全日本選手権保持者を破り、戦時下最後の錦を母校に飾ることになる。
昭和24年、大学開設と同時に大学水上部が発足。戦前に続いてスカールでたびたび全日本選手権を獲得し、伝統を保持した。空襲で端艇が焼失したため、しばらく借艇での練習だったが、26年にOBと学校の援助でフォアを建造。28年には後援会も発足し「漕艇部」と改称した39年、埼玉の戸田ボートコースに艇庫が完成し、今年7月まで、30余年に渡り部員たちの活動の場となった。
昭和30年代以降は戸田レガッタ、全日本大学選手権などでスカール、フォア、エイトでの優勝や上位進出、そして62年の全日本軽量級選手権では対抗エイトで準優勝と活躍している。近年では女子部員の活躍も目立つようになっている。
海外交流も積極的で、平成10年10月、高等科漕艇部はイギリスの名門パブリックスクール「イートンカレッジ」のボート部と親善試合を行った。イートンクルーの強さを見せつけられた試合だったが、試合後は大いに懇親を深めた。
明治以来の歴史と伝統をもつ「漕艇部」。新艇庫完成をきっかけに、更なる飛躍を期待したい。