昭和33年11月24日、東都大学一部リーグで学習院大学硬式野球部が優勝を決める!
明治22年の野球部創設から60年後の昭和24年、新制大学発足と同時に大学硬式野球部の歴史が始まった。翌年には東都大学野球リーグに加盟し二部で善戦。わずか2 年後の昭和27年、めでたくリーグ1部に昇格した。その後一進一退を重ね、昭和33年春、2部転落の危機を迎える。入替戦の相手は、芝浦工大。しかし、ピッチャーの根立光夫氏(昭34政)が爪をはがしながらも力投し、1部の座を守った。
同年秋。学習院は中大に連敗し専大戦も敗れたが、農大、日大、駒大に連勝。春の最下位から優勝候補にのし上がった。
11月12日から14日の第1回優勝決定戦。中大が日大に大勝し、学習院は日大に敗退。続く中大戦は、後半まで2点リードした中大の優勝が決まったかに見えたが、学習院が劇的なサヨナラ勝ちを収め、三すくみに。11月18日から21日の第2回決定戦。その日大戦で、学習院はまたもサヨナラ勝ち。中大は日大に敗れ、学習院初優勝の期待が高まった。皇太子殿下(現天皇陛下)や各宮様方も応援に駆けつけ、学習院の応援スタンドは、空前の大応援団で埋め尽くされた。だが学習院は敗れ、またも三つ巴に。優勝預かりとの声もあったが、関係者の熱意でもう1回決定戦を行うことになる。
3度目の決定戦は11月23日・24日と神宮球場で行われた。1日目、学習院は日大に勝利。翌日午後0時36分、遂に優勝を懸けた中大戦を迎えた。ビッチャーの根立氏は、中大の強力打線を6回まで2安打に押さえ、2回にはタイムリーで1点先取。5回、田邊隆二氏(昭34経)の長打を小幡隆一氏(昭36 政)の犠飛で1点。続く北田次平氏(昭35経)、佐藤太美雄氏(昭36経)が連打し、5番の江野澤浩市氏(昭35政)がとどめのスリーランホームランを打ち込んだ。初優勝の栄冠を遂に学習院がものにしたのである。AP電は全世界に向け、「皇太子殿下ご出身の学習院大野球部が24日、東都大学リーグ戦で優勝。義宮、清宮両殿下を含む八千の群衆を前に中大と対戦し、5-2で快勝した」と伝えた。