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学習院輔仁会音楽部合唱団OB合唱祭2022―創部100周年記念―開催終了のご報告

2022年10月2日、代々木にある国立オリンピック記念青少年総合センターカルチャー棟大ホールに於いて、学習院輔仁会音楽部合唱団OB合唱祭2022―創部100周年記念―開催いたしました。

創部100周年という記念すべき折に、大学現役、OB男声ステージ、合同ステージとしてOB合唱団と現役合唱団合同100人で、ヘンデルの代表曲「メサイア」(救世主)を演奏しました。
昨年2021年10月17日にサントリーホールで開催された桜友会創立百周年記念コンサートの折にも、同作品の中で最も有名な「ハレルヤコーラス」を演奏させていただきました。賛助出演の機会をいただきましたことをあらためて御礼申し上げます。

昨年の音楽部合唱団OB合唱祭では、無観客でピアノ伴奏によるヘンデル「メサイア」より抜粋した小曲、今年は大ホールでOB管弦楽団の皆さまとの再チャレンジでした。小曲数も増やしました。
ピアノ伴奏とは全く違い、時には軽やかな、時には厳かな響きに包まれ、演奏者としても至福のひと時となりました。演奏が終わり、鳴り終わらない拍手の中、アンコールのアーメンコーラスが始まると自然に客席との一体感が高まり、この壮大なオラトリオ「メサイア」の物語を締め括る終曲がホール全体を優しく包み込んで閉演となりました。

このコロナ禍は人と人の繋がりを断つ、壁を作る、それが辛く悲しい特徴だと感じています。私たちは知恵を出し合い、力を寄せ合い、練習にはWeb会議システムも使いました。これからも様々な“音楽を楽しむ場”を作り、音楽を通し、人と人の繋がりをより深めて行くことを追求し続けます。
「立ち上がれ、新学習院」。今、あらためて「院歌」の詞を思い出さずにはいられません。

最後になりましたが、合唱祭開催に向けお力添えくださいました先生方、メンバーの皆さま、そして賛助くださいました学習院 O B 管弦楽団の皆さまに、心より感謝申し上げます。

学習院輔仁会音楽部OB合唱団
事務局代表 髙﨑 真

<現役ステージ>
開演冒頭の現役・OB合唱団合同の「院歌」混声四部合唱から始まり、第一ステージは現役合唱団です。その若々しく澄み切った歌声、歌詞と相まって伝わる言葉にならない感動が。聴いているうちに心が洗われ、自然と涙が溢れてきました。

<OB男声ステージ>
第二ステージはOB男声合唱団。
人生の悲喜交々を味わったからこそ醸し出せる味わい、また若者たちの歌声とは違う心に響くものがありました。コロナ禍の状況を乗り越えて仲間と作り上げたハーモニー、素敵でした。

<OBと現役合唱団の合同ステージ>
昨年の合唱祭では無観客でピアノ伴奏によるヘンデル「メサイア」より抜粋した小曲、今年は大ホールでOB管弦楽団の皆さまとの再チャレンジでした。小曲数も増やしました。
ピアノ伴奏とは全く違い、時には軽やかな、時には厳かな響きに包まれ、演奏者としても至福のひと時となりました。
演奏が終わり、鳴り終わらない拍手の中、アンコールのアーメンコーラスが始まると自然に客席との一体感が高まり、この壮大なオラトリオ「メサイア」の物語を締め括る終曲がホール全体を優しく包み込んで閉演となりました。

「学習院輔仁会音楽部現役・OB合唱団合唱祭 2018」のご報告

「目白に集い、目白で歌う会
2018年9月23日、学習院創立百周年記念会館に於いて、学習院輔仁会音楽部合唱団の現役OBによる演奏会を開催致しました。
内藤院長先生をはじめ、大変多くの皆さまのご来場を賜りまして大盛会のうちに無事やり遂げることができました。あらためまして、感謝を申し上げます。
今回の演奏会は、学習院輔仁会音楽部合唱団の現役・OBが、年に一度目白に集まり、より更に良き交流を深め、歌の輪、人の輪を広げる、初の『オール合唱団』の演奏会になりました。
第1ステージは現役合唱団、第2ステージは卒団5年位までの若手OBで邦人曲を、第3ステージは現役・OB・団友の皆さんでオルフの「カルミナ・ブラーナ』を演奏致しました。
これからもこの演奏会を年に一度、目白の百周年記念会館で開催を致します。今回は参加できなかった方々も、故郷を懐かしみ故郷に帰るような気持ちでお集まりください。多くの皆さまのご参加をお待ちしております。

学習院OB合唱団代表
高崎 真

音楽部の歩み

大正十一年夏。学習院輔仁会音楽部は産声を上げた。以前から学習院には個人的にクラシック音楽を演奏する人が多く、日本のオーケストラの父といわれる近衛秀麿氏をはじめ、京極高鋭や有坂愛彦(ともに音楽評論家)、山田一雄、前田幸市郎、岩城宏之、福田一雄各氏等の一流音楽家を輩出してきた。 音楽部は輔仁会雑誌編集部から分かれて独立。だが大正末期は硬派が盛んな時代であったため、音楽を奏でる部など軟弱だと独立には反対する意見も多かった。やっとのことで独立するが、大正天皇の崩御により活動を一時中断。昭和二年に活動を再開すると軍艦マーチの作曲者、瀬戸口藤吉氏は当時日本楽壇の第一人者で、交響曲などを演奏できるまでに音楽部を成長させた。 昭和六年ごろ、音楽部は戦前の黄金時代を迎える。瀬戸口氏に代わって、新交響楽団(現NHK交響楽団)の弦・管楽器奏者、棚池慶助氏を指導者として迎えたからである。特訓を積み重ね、新交響楽団と練習をしたりして、音楽部の名は広く知られるまでになった。 戦時中も演奏が絶えることはなかった。激しい空襲で楽譜を失ったが、貴重な楽器は部員や門衛の人達によって救われた。そのため、音楽部は戦後にいち早く復活する。 昭和二十四年、大学ができると大学の音楽部に混声、男声、女声の合唱団を編成。また、女子短大が設置されると短大(現女子大)女声合唱団ができ、コーラスが隆盛を極めた。一方、初等科には合唱部とオーケストラが誕生し、中・高等科にも有志によりオーケストラが結成されるに及んで、各団とも精力的な活動を始めたわけである。 学習院が創立百一年を迎えた昭和五十三年。音楽部はテレビ朝日の「オーケストラがやってきた」の番組出演した。音を愛するプレイヤーたちは、今後も聴衆に感動や興奮を送り続けることだろう。