文化部」カテゴリーアーカイブ

桜美会(美術部)の歩み


学習院大学名誉教授で元美術部長・林友春先生の言葉を借用させていただきます。
「学習院は戦後一般に開放されましたが、ややもすればその教育目的が明確を欠くようになったと思われます。しかし学習院にとっては、旧学習院のその日本的伝統文化の香りと、明治以降の新しい文化創造への率先開発という学習院本来の精神を再認識し、世界文化の発展に貢献するのが、最も相応しい教育目的であると考えられます。中でも、かつて日本に西洋美術・音楽・文芸を招来し、日本文化発展の先駆をなした白樺派の人達の功績を継承する学習院輔仁会の美術部は、音楽部と共に、全学の文化活動の中心となって、一人学習院のみならず、日本の文化発展に努力してきたことは、忘れてはならないことと思います。この美術部は、浩宮皇太子殿下が学習院幼稚園に入園され、絵を発表されたのを契機に、以来しばしばオール学習院美術展を開催してきました」
林先生のお言葉のようにわが美術部は、日本的伝統文化の香りを基調に、明治以降の新しい文化創造への一翼を担ってきたという自負があります。今年制作した「学習院美術部卒業生名簿」から諸先輩の御名を挙げてみますと、錚々たる人物がアトリエにて絵を描いていたのが分かります。大正15年高等科卒の故入江相政氏、昭和2年高等科卒の故徳川義寛氏、故鍋島直康氏などの方々の御名が見えます。そして昭和20年代過ぎに、現在の様相になって参りました。
今回発刊された美術部卒業生の名簿には、1100名の名が載っています。指導者は、戦中から戦後にかけて、故富永惣一先生(元国立西洋美術館長)、洋画の故岡常次、日本画の今田直策の両先生、さらに昭和20年代からは故石川滋彦先生(新制作協会)、故是永伸一先生、故新木正之介先生、林友春先生などの方々がおいでになり、故石川先生は毎週土曜日に絵の批評会でご指導され、会が終了すると先生の奏でるアコーディオンに合わせ、屋上でホウキダンスなどをしました。
夏の合宿は、志賀高原の丸池ロッジや石の湯山荘等々で開催し、1週間の合宿中に描いた力作の批評会と合宿最後の晩の納会での寸劇がよき思い出です。帰りの夜行列車の中で、眠らずに将来の思いを語り明かしたことが走馬燈のように思い出されます。当時の大学美術部の展覧会は、秋の大学祭とオール学習院展が主要でした。特に都内の有名デパートで開催されたオール学習院展は幼稚園から大学、短大、教職員と関係者一同の発表会になりました。外部団体・企業の方々達と交渉したり、OBの著名な先生方(武者小路実篤氏ほか多数の方々)の絵を借用したり、会場も採算の合わない点も特別なお取計らいでご協力をいただき、無料でいろいろとご配慮いただきましたことに感謝しながら、社会勉強をさせていただきました。どんな展覧会でも出品される作品だけでなく、裏方の絵の飾り付けや配置などにも各人の人間性が表れ、興味深いものです。
今後も現役学生と桜美会とが協力し、学習院の文化活動の発展に役立ちたいと思っております。

 文/渡辺伊佐保(昭43済)


昭和41年に行われた輔仁会美術部の夏合宿

観光事業研究部の歩み

昭和28年、第二次世界大戦の苦しみから、漸く立ち直り、平和な時代の到来が告げられようとしていた。そして学習院大学でも、その平和の象徴ともいえる旅と観光に目を向けた学生たちがいた。

 昭和28年、学習院高等科の卒業を目前にした、鉄道と旅を愛好する学生たちが、大学での「同好会」結成のために準備を始めた。そして同年4月、大学進学と同時に学習院観光事業研究会(GTB)を設立する。設立時は女子部からの進学者や、外部からの入学者と合わせて20名弱の会員であった。
その後、会員が急増し、資金も会費だけでは賄いきれなくなり、運営費を捻出するための企画を立てることになる。当時はダンスパーティーが流行し、多くの部やサークルは、そのパーティーで運営資金を集めていた。観光事業研究会も様々な案を考えたが、当たり前ではつまらないと日帰りバスツアーを企画し、学内だけではなく外部(主に目白周辺の学生)にも呼びかけた。これは、バスを一台借りきって行うもので、初めは危険という理由で許可が下りなかったという。それでも、何度も学校との交渉を重ね、承認を得て、伊豆方面への第一回の観光事業研究会主催の日帰りバスツアーが開催された。このツアーは好評を博し、以来、毎年春秋の2度のバスツアーは恒例となっていった。後に同じく観光事業を研究する、早稲田大学観光学会、慶応大学観光事業研究会、立教大学ホテル研究会などもこのバスツアーを参考に、同様の企画を実施していった。
また、創設後初めての文化祭(院祭)では、観光相談所の設置や当時の最新型観光バスの展示・試乗会などを行った。


昭和29年院祭で、右端が山田明夫初代委員長

 このほかにも、修学旅行の添乗業務の実習を、当時は合併によりできたばかりの近畿日本ツーリストの協力で行ったりした。
昭和31年当時、観光に関する講義がカリキュラムに加えられていたのは立教大学だけで、そのほかは研究会が、先に挙げた早稲田大学、慶応大学と日本女子大学、大妻女子大学にあるだけだった。これらの大学ではどこも運営費の問題で頭を痛めていた。そこでバスツアーや様々な企画の情報交換などを頻繁にするようになり、次第に連盟結成の動きとなっていった。そして昭和31年夏、皇居前のパレスホテルで結成式を行い「全日本学生観光連盟」がこの6校により結成された。これとほぼ時を同じくして、観光事業研究会は部に昇格し、観光事業研究部となった。
会創設後、47年を経た現在、現役の部員たちは先輩たちの築き上げた基礎を大切に守りながら、さらに時代の変化に適応しながら活動している。今、活動のメインとなっているのが大学祭での研究発表と、毎年恒例の冬のスキーツアーである。
学祭での研究発表は発足当時から続いている。まさに観光事業研究部の柱である。毎年夏休みに各調査地で調査合宿を行い、大学祭でその成果を発表する。そして、その成果を調査報告書の形でまとめている。内容はデータ・分析ともに非常に充実しており、極めて優れたものになっている。
冬のスキーツアーも昨年は蔵王、一昨年は苗場と、学外の方も交えて大盛況のうちに開催された。ほかに、山手線一周や沼津での合宿など、1年を通して多くのイベントがある。研究と遊びを両立させながら成果を残していく、観光事業研究部はまさに部活動の本道を歩み続けている。

ハワイアン桜友会「第7回アイランド・サウンド・フェスティバル」2010開催報告

ハワイアン桜友会では、平成22年3月6日(土)に、学習院創立百周年記念会館大ホールに500名を超える観客を集めて、チャリティコンサートを開催した。
H5N1型のインフルエンザ到来に備えて、ワクチン備蓄を計画する社団法人新型インフルエンザ対策協議会と、子供を事故で亡くした両親をサポートするNPO団体「とうきょう・はっぴーくらぶ」を支援することを目的に、およそ二年半ぶりの開催となった。
コンサートはニュース東京を発行する、都政新聞 株式会社の後援を受け、本学出身のハワイアン・ミュージシャン「鴻池 薫とハワイアン・ソウル・フレンズ」と「ハング・ルース」の二つのバンドが競演するコンサートに、六つのフラ教室の参加を得て、80名を超える踊り手が様々なハワイアンを披露する、賑やかな催しとなった。
およそ十年間に及ぶハワイアン桜友会の歴史に残る、盛大なコンサートに、観客は生憎の雨交じりの冷たい土曜日ながらも、ヒーリング・ミュージックとして、近年ファンを増やしているハワイアンを心から堪能していただけた様子。
今後も同様なコンサートを定期的に開催したいと、事務局では早くも次回の計画作りに入ったとか。出来れば現役の学生諸君のフラ、演奏に門戸を開放する会合にしたいと意気込んでいる。
OB、OG諸子も含め、参加を求められる方は、気軽に下記事務局にご連絡をいただきたいと呼びかけている。
ハワイアン桜友会 事務局
〒162-0041 東京都新宿区早稲田鶴巻町308-3-101
株式会社ウィザード・アール・ディ・アイ 内
平田 邦彦 宛

カントリー桜友会

設立総会&設立記念パーティー開催 (イベントホール「NOBILDUCA」港区六本木にて)

平成21(2009)年6月12日現在の会員数=80名のところ、52名が参加、議事委任数が11名で総会は成立しました。
開会に先立ち、発起人を代表して田中英雄さん(S36政卒)が設立の目的として「日本のカントリー会の創世期から沢山の学習院OBが活躍されており、その伝統を伝えてゆきたい」また、「現在も幅広いカントリーミュージックの愛好者がOB・OGの中に存在するのでその親睦をはかっていきたい」と設立の目的と経過を説明しました。又会員数80名と、予想を超える会員数に感謝の意を表しました。
引き続き設立総会は、事務局の野間信彦(S45政)の進行で、発足の経緯説明、会役員の選任、会則の承認、今後の活動計画が承認され、温かい拍手に包まれて総会を終了しました。
設立記念パーティーは、まず、大和田孝桜友会副委員長から、「カントリーミュージックは若いころみなが親しんだ音楽で、活躍されたOBも多く、今後の活動に期待する」との謝辞をいただき、続いて当会の名誉会長である井原高忠さん(S21高)の挨拶、来賓の、カントリー成城会会長の岡本様より祝辞と乾杯のご発生をいただきました。
そしてしばしの歓談、お食事タイムののち、19:20頃から昭和50年前後卒業メンバーによるブルーグラスバンド「OLD SALTS」の演奏を行いました。曲目は「Will meet again sweet heart」「When you kneel at mother’s grave」など12曲。12日の演奏に合わせて、年代の別れたピックアップメンバーが2回ほど練習しただけにしては、なかなか気のあったアンサンブルを奏で、会場から拍手と声援を集めていました。
ライブ演奏の2番手として、カントリー桜友会会長率いるGUN FIGHTERSが登場。このバンドは他校卒業生も参加している混成バンドで、昔懐かしいカントリーの名曲を中心に多くのレパートリーを持っています。会員で会計事務局の磯野美樹さん(平成14法卒)、野間信彦(昭和45政治)の歌のほか、川原三郎さん(昭和43経済)、水上立英さん(昭和50経済)白井雅昭さん(昭和48年経済)などがゲスト歌手で参加し、幅広い年代の会員によるライヴステージを行いました。
会場内でも、カントリーミュージックを話題に、年代を超えた親睦が図られ、曲の蘊蓄を語りあったり、名刺を交換したり和気あいあいとした雰囲気の中で、あっという間に終了時間を迎えてしまいました。今後は、このような親睦の輪をさらに広げ、深めて行こうと思っています。できれば、いろんな年代で構成されたバンドを編成し、例会や研究会が出来ればうれしいと思っています。

カントリー桜友会事務局 野間信彦

速桜会(速記研究会)懇親会開催2009

速記研究会のOB、OGの有志が久し振りに平成21(2009)年4月19日(日)「オール学習院の集い」に合わせて集まり、目白の学習院大学西1号館小教室で懇親会を開催しました。
今回の目玉は速記研の「宝物」で創設当時の安倍能成学習院長直筆揮毫による「学習院大学輔仁会速記研究会」の表札と当時からの速研写真アルバムでした。それらを教室に運び参加者各自が持ち寄った速研会報や懐かしい写真を見ながらみんな当時の学生気分に戻って時間の経つのも忘れて大いに盛り上がりました。現役速研委員長も出席し、現在の部室にも案内してもらって交流を深めました。夕方まで学食前のテラスで懇談、そのあと有志で目白近くの店で遅くまでワインを傾けました。

第8回放研シニア春秋会2009

第8回放研シニア春秋会(学習院創立百周年記念会館・2009年4月25日)
新緑の風薫る4月25日、初めて我々の母校である「学習院創立百周年記念会館」において第8回放研シニア春秋会が開催されました。当日はあいにくの雨でしたが大きく変貌したキャンパスにただ驚くばかりでした。あのピラミット校舎は・・・?この辺に我々の部室が在ったなア・・・・。数十年振りに母校を訪れた先輩たちからこんな呟きが聞こえてきました。
送られてくる桜友会報でも盛んに「母校を訪ねてみよう!」「もっと学習院をPRしよう!」というキャッチフレーズが目につきます。桜友会の役員を担務しておられる山本会長のご挨拶の中でも「この不景気の中で学生達の就職率は今年もトップで他大学と比較しても群を抜いているが、しかし受験生の合格者が他の有名校にいってしまうケースも増えている」と懸念しておりました。
昨年、この会でご挨拶をして頂いた桜友会内藤会長のお話の中でピラミット校舎の跡地には中央教育研究棟が完成し、その最上階に桜友会のラウンジもつくられる、とのことでした。最近の話ですと完成は平成22年春、あと1年後です。放研シニア春秋会の会員130名の皆さん!大きく変貌しつつある目白キャンパスを一度、訪ねてみては如何でしょうか。私たちが青春時代を過ごし、身をもって知っている母校・学習院の素晴しさを再認識することでしょう。
(記 千葉S41年卒)

【旧サイトの「放研シニア春秋会」はコチラをクリックしてください】
https://www.gakushuin-ouyukai.jp/obog/broadcasting.htm

第7回放研シニア春秋会2008

第7回放研シニア春秋会(メルパルク東京・2008年4月20日)
遅咲きの八重桜が満開の4月20日、芝公園の「メルパルク東京」で第7回放研シニア春秋会が開催されました。 S32年卒の大先輩から今年還暦を迎えた45年卒まで33名が参加しました。
高橋勝彦さん(41年卒)の司会で山本時雄会長(33年卒)のご挨拶、そして今回初めて桜友会からご臨席頂いた内藤頼誼会長のご挨拶と乾杯で幕が開きました。
山本会長のご挨拶の中で放研に入部された昭和29年頃はラジオが主流であり、クラブの名前も「放送劇研究部」だったとのこと。そして多くのマスコミ関係者を輩出した話を伺い、改めて放研の歴史と伝統の重さを感じました。
内藤会長のご挨拶では、学習院の現状や桜友会の活動等について大変貴重なお話を聞かせて頂きました。あの懐かしいピラミッド校舎が取り壊され、あとには高層の中央教育研究棟が建って、桜友会も使えるラウンジがつくられるそうです。久しぶりに目白キャンパスに足を運んで「わが母校」の変わりゆく風景を見に行かれてはいかがでしょうか。
今回は還暦を迎えられて初参加の飯田さん(旧姓尾崎)と櫻田さん(旧姓石原 共に45年卒)、そして今年が始めてという先輩、後輩も多数参加して頂きました。学生時代と変わらない笑顔がとても印象的でした。 皆さん! 懐かしく嬉しい再会をありがとうございました。
次回はさらに盛会となるよう皆様方のご参加をお待ちしております。 (記 成瀬S42卒)

放研シニア春秋会 第6回シニア春秋会2007

放研シニア春秋会 第6回シニア春秋会(八芳園本館・2007年4月14日)
この懇親会も2007年で第6回を迎えることができました。因みに、第3回中野サンプラザ(2004年3月)、第4回新宿プリンスホテル(2005年4月)、第5回三笠会館(2006年4月)と開催してきました。還暦を迎えた若輩者?も参加資格を得て、現在の会員数は130名になりました。
さて第6回は新緑が目にしみる季節の4月14日。美の日本庭園といわれている「八芳園」で31名の懐かしい仲間たちが集いました。高橋勝彦君(41年卒)の司会で山本時雄会長(33年卒)のご挨拶、菅原基清さん(34年卒)の乾杯で始まり、団欒の華があちら、こちらに・・・・無邪気な笑顔には学生時代の面影がいっぱい!でした。
「こういう人生の憩いの場は何時までも続けていくことが大切・・・」という山本会長のお話が印象的でした。今回は静岡県から大久保高秀さん、増井公道さん(共に37年卒)と原淳子さん(旧姓丸39年卒)の三人の方が遠方よりご参加頂けました。有難う御座いました。
2008年の第7回シニア春秋会は現在、準備を進めております。また、青葉香る季節に春風に乗った便りが皆さまに届きます。今度の記念写真にはあなたの笑顔が写っている・・・・ご参加を期待しております!!

放研シニア春秋会 第5回シニア春秋会2006

放研シニア春秋会 第5回シニア春秋会(銀座・三笠会館本店・2006年4月22日)
第5回懇親会は「春風に乗って銀ブラしながら参加しよう!」のキャッチフレーズで銀座・「三笠会館本店」で開催しました。参加28名、今回も若輩の41年卒業組が幹事を担当。前回に引き続いての幹事なので多少、余裕(?)をもって進行。山本時雄会長(33年卒)のご挨拶、岡部達昭さん(34年卒)の乾杯の音頭で開始、お二人とも放送界では有名な方々なのでテレビを見ているような感じで、ご挨拶にも深い感銘を受けました。
今年は還暦を迎えた43年卒の後輩たちも参加しました。短32年卒の鹿島田さん、杉町さんの大先輩の話を聞かせて頂き、還暦を迎えた後の人生の生き方について大いに参考になったのではないでしょうか。
二次会は新宿・末広亭の前にある「よたろう」というスナックを貸切、ここの焼きうどんはなかなかの美味でした。カラオケで皆さんの「のど自慢」の後、参加者全員が最後に肩を組んで「♪秋の夜はふけて・・・・・♪」(幸せはここに?)の大合唱で楽しいひと時を過ごしました。