山桜会(山岳部)の歩み

昨年、創部80周年を迎えた輔仁会山岳部。
日本から世界の名峰に夢と憧れを寄せて、山への讃歌を自然という名のノートに刻み続ける。

はるか明治時代にまでさかのぼる学習院の山岳活動の歴史。当時ボン大学に留学していた近衛篤麿氏がスイス・アルプスを登山 したのがその始まりという。以後、21世紀を間近に迎えた今日まで、学習院出身者による山岳活動は活発に行われ、数々の偉業を築き上げてきている。
山岳部の創部は大正8年4月。創部当時の名称は「輔仁会旅行部」で、部内はさらに「旅行部」と「スキー部」に分かれていた。創部3カ月後には赤城・日 光・白馬岳・妙高山への山行などが行われていたので、発足当初から活動が活発であったことがうかがえる。
「山岳部」と改称されたのは大正14年。同年、学習院と慶應の合同登山隊が北米のアルバータ峰(3619m)初登頂を成し遂げている。日本山岳会初の海 外遠征でもあり、学習院からは岡部長量、波多野正信(ともに大12旧高)の両氏が参加。頂上に立った隊員9名は、日の丸を振ることも、万歳を叫ぶこともな く、無言のまま互いに握手を交わし、初登頂の喜びを分かち合ったという。
大正14~16年には、日本山岳協会や日本山岳会の会長を務めたことがある松方三郎氏(大8旧高)や元部長の渡辺八郎氏がヨーロッパアルプスを登山。大 正15年には、秩父宮殿下も一緒に登られている。
時代は移り変わり昭和10年。「森林・草原・氷河」という日本の山岳書の中でも有数の名著を残している加藤泰安氏(昭9旧高)や周布光兼氏(昭13旧 高)ほか4名が大興安嶺最高峰(1835m)の初登はんに成功した。
昭和28~33年には、日本山岳会や京都学士山岳会の海外遠征に参加。前OB会長の舟橋明賢氏(昭19旧高)をはじめとするグループがアンナプルナ2 峰、4峰の試登を果たしたほか、芳賀孝郎氏(昭33経)のグループがチョゴリザ(7654m)の初登頂も成し遂げている。
海外遠征は他の団体との合同がメインであった山岳部も昭和39年、ついに学習院単独の登山隊を結成。川崎巌氏(昭35経)らによりアラスカ・ローガン峰 の登山を行った。中央峰(6050m)の登頂と西山稜の初登はんに成功し、学習院山岳部の歴史に残る偉業を成し遂げた。
念願の学習院ヒマラヤ登山隊が結成されたのは昭和51年。三井源蔵氏(昭20旧高)、贄田統亜氏(昭38化)などのグループがスキャンカンリ峰 (7544m)初登頂を果たした。
なお近年では、永田秀樹氏(昭55独)らによるチョー・オユー峰(8202m)の登頂や、棚橋靖氏によるナンガパルバット(8125m) の単独登頂成 功が偉業として挙げられる。
山岳部創立80周年記念を迎えた平成11年10月、学生を中心とした初の海外合宿が行われた。目指したのは中国の未登峰レッドメイン峰(6112m)。 海外での登山経験が豊富なOBの棚橋氏を隊長に学生主体のパーティーが初登頂に成功したことは、今後の山岳部の黄金時代の幕開けを告げる出来事にちがいな い。
もちろん山岳部の活躍は海外だけに留まらず、国内でも数々の業績を残し、枚挙に暇がない。
日本の山岳クラブの最古に数えられる輔仁会山岳部。今後も世界の数々の名峰を踏破し、母校に錦を飾ってくれることであろう。