令和6(2024)年10月5日、櫻廣会(広告研究会・広告学研究会)は、百周年記念会館にて創部60周年の記念総会を2年遅れで開催しました。
総会には1期から現役の方々まで総勢75名のOB・OGに参加いただき、冊子にまとめた60年の歩みを眺めつつスライド紹介するとともに、現役会員による活動報告の後、懇親の場を設け年代を超えて学生時代の思い出に花を咲かせ大いに盛り上がりました。
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令和6年 運動部常任員会OBOG会 開催報告
学習院観光事業研究部OB・OG会令和6年度会員親睦イベントの開催報告
観光事業研究部OB・OG会では、令和6(2024)年12月1日(日)雲一つない快晴の空のもと、今年度の会員親睦イベントである貸切の都電で行く「新一万円札の顔を訪ねて」を開催しました。今回の参加者は、部分参加の方を含めて総勢33名。上は昭和33(1958)年卒業のOBから、下は現役の大学2年生部員2名まで、実に幅広い世代の関係者にお集まりいただきました。
午後2時前、出発地である都電・早稲田駅に「貸切」の電光表示を掲げた車両が入線すると、待ちかねていた参加者から歓声が上がりました。慌ただしく集合写真の撮影を終えるとすぐに発車。電車は「学習院下」電停をはじめ各駅に停車するものの扉は開かず、運転士から外部マイク「この電車は貸切です。ご乗車いただけません」の放送に若干の優越感すら覚えます。車窓を眺めながら旧交を温めていると30分弱の都電旅はあっという間に終了し飛鳥山駅に到着しました。
飛鳥山公園内にある渋沢史料館は、ちょうど他の団体も到着したところでやや混雑気味。幕末から明治・大正・昭和にかけて数多くの功績を挙げられた渋沢翁の足跡を辿り、そのバイタリティに圧倒された見学となりました。その後飛鳥山公園からの移動途中、区で運営する小型ケーブルカー「アスカルゴ」への乗車も、鉄軌道愛好者には気に入っていただけたようです。
お札と切手の博物館では、世界の紙幣や切手の展示のほか、紙幣印刷技術の体感などができるようになっています。紙幣の透かしは既に明治期から越前和紙職人の手によって施されており、また図柄を彫る技術は極めて特殊なことから、今でも担当者の氏名は一切明かされないといった話も聞くことができ、短いながらも貴重な時間を過ごすことができました。
夕方5時からは、王子駅近くの中華料理店「香香」での懇親会となりましたが、30数年ぶりの再会といった場面もあって、老若男女の交流は想像を上回る盛り上がりとなり、予定の時間を大きく上回ってお開きとなりました。多くの参加者から「今日は楽しかった」という言葉をいただき、運営スタッフ一同大変うれしく思っております。
観光事業研究部OB・OG会では、会員相互の親睦、卒業生と現役部員の交流を促進するため、今後もこのようなイベントを企画していきたいと考えておりますので、次回以降もお誘い合わせのうえぜひご参加ください。
学習院観光事業研究部OB・OG会
会長 日置岳人(昭和60年卒)
一般社団法人 学習院桜友会への寄付について
陸上競技部 創部125周年記念祝賀会開催報告
令和6(2024)年10月14日、輔仁会陸上競技部の創部125周年記念祝賀会を百周年記念会館にて開催致しました。
祝賀会には、耀英一院長をはじめ、学校法人の役員の皆様、東園基政桜友会名誉会長、諸戸清郎会長、父母会から神山直己会長、男子中高等科、女子中高等科科長、陸上競技部顧問の先生方、更には甲南大学や筑波大附属、成蹊大学の陸上競技部OB会の幹部の皆様など、陸上競技部を語る上でなくてはならない多くの方々にご出席頂きました。当日は、休日開校日にて、授業のある現役部員達は残念ながら出席が叶いませんでしたが、ご来賓をはじめ、多くの陸上競技部のOBOGが参加し、140名近い出席者で会場が一杯になりました。
記念式典においては、冒頭、山田吉彦後援会長の挨拶から始まり、陸上部の活動や現況の報告が行われ、その後、耀院長からもご挨拶を頂きました。
陸上部の長い歴史を振り返り、数多くの選手達を輩出してきた競技部に対し、これからも益々頑張って欲しいとエールの言葉を頂きました。その後、清水洋二125周年記念祝賀会実行委員長より、長きに渡る陸上競技部への支援に感謝の気持ちで耀院長へ寄付金贈呈を行いました。また、後援会活動において、陸上競技部の支援に尽力されたOBへ感謝状と記念品の贈呈を行いました。その後、125周年の軌跡をスクリーンで紹介し、古くは志賀直哉氏の棒高跳での活躍の紹介やインターハイでの連覇、関東インカレ優勝者、入賞者の紹介や最近では川内優輝選手の箱根駅伝での活躍等、中等科から大学までのオール陸上部の足跡の紹介が行われました。明治32年から続く伝統ある陸上競技部の歴史を本院のみならず、ご招待した長年の良きライバル校の方々も時に拍手を交えながら映像に見入っていました。記念式典の最後は、川内選手が登壇し、箱根駅伝の思い出や色々なエピソードを交えながらの記念講演を行いました。学習院初の箱根駅伝ランナーの講演は、臨場感あふれる内容で式典会場の場をより一層盛り上げました。
続いての懇親会では、最初に陸上競技部後援会・岡田佑顧問よりの開会の挨拶、大西健一125周年記念祝賀会事務局長の乾杯でご出席頂いた方々皆さんとのお祝いの盃を交わしたのち、甲南大学や筑波大附属、成蹊大学のOB会会長の方々からお祝いのお言葉を頂き、会場は大いに盛り上がりました。また、女子部時代に走高跳で活躍され、インターハイでも優勝経験をお持ちの大岡久恵さんからも陸上競技部の長い歴史に対して賛辞を頂き、続いて、陸上競技部監督の羽田雄一先生からの陸上部の活動についての報告や練習環境やコロナ禍を経て現役部員達の苦労や大変さの話を聞き、OBOGも改めて現役部員達に対しての労いの気持ちを持ちました。その後、井坂優太 陸上競技部主将から、部員一人一人がチャレンジ精神、目標を持って自己記録の更新を目指していくという力強い決意表明を受け、出席者もより支援、応援をしていきたいという思いを胸にしました。懇親の時間もあっという間に時間が過ぎて125年の歴史を語る上ではとても短い時間でしたが本院のみならず、他校の良き仲間達との親交をより深められる素晴らしい懇親会となりました。
会の終盤には、應援團も駆けつけ、ブラスバンドと共に院歌斉唱となりました。会場が一体となり、声高らかに会場には院歌が響き渡りました。最後には、陸上競技部後援会 川﨑誠副会長より中締めの挨拶となり、125周年記念祝賀会は盛会の内にお開きとなりました。
中等科から大学までの多くのOBOGが日々練習と努力を重ね繋いできた襷を、今の現役部員達も受け継ぎ懸命に練習に励み、目標達成を目指して頑張ってきたこの125年の歴史と伝統に感謝するとともに、これからの陸上競技部の更なる飛躍を願う、素晴らしい一日となりました。後援会活動がより活発になり、現役のサポートにつながればと思います。
文責 蛯原久敬(陸上競技部後援会 副会長)
高等科洋弓部創部60周年記念式典
令和6(2024)年9月7日高等科特別教室にて、高等科洋弓部の創部60周年記念式典・祝賀会が、高等科洋弓部後援会の主催により開催されました。1964年同好会として輔仁会活動を開始、1969年、部に昇格しました。60年の歴史のなかで、卒業生OBも総勢350名を超え、全国大会への出場や・上位入賞、卒業後1980年モスクワ五輪幻の日本代表となった選手や、全日本選手権で優勝経験のあるOBまで、日本のアーチェリー界において重要な選手を幾度となく輩出してきました。
当日は加藤政夫高等科生徒課長、山下純司大学洋弓部長、歴代顧問先生をはじめとするご来賓の他、社会人・大学生OB、現役高等科部員36名や、現役部員の父母保証人を含む、75名を超える参加者と共に60周年を祝いました。世相を交えた60周年を振り返る映像資料と共に、倶楽部の沿革を辿り、下は15歳の高一生徒から、80歳に限りなく近づいた初代OBまで、和やかな雰囲気の中で一連の祝賀行事を、最後は高等科洋弓部恒例の『五本締め』にて終了いたしました。
今回の創部60周年を祝い、後援会では記念品を制作しましたので、購入希望のOBは、info@gat1964.com 宛メールにてお申し込みください。
後援会長 福留 誠、幹事長 高 泉洋
学習院航空部ウイングクラブ2024年度総会・懇親会を開催
大空を滑翔するグライダーをこよなく愛する航空部
学習院航空部ウイングクラブは、令和6(2024)年7月7日(日)学習院女子大学に於いて2024年度総会・懇親会を開催しました。
老若男女合わせて総勢45名が集い、審議、承認、そして現役部員を交えての懇親会を同時開催し今昔物語に華を咲かせ、時間を忘れて懐かしく楽しいひと時を過ごしました。
また、元大学部長片瀬先生、現女子大学部長品川先生にもご参加いただき日頃、ご苦労頂いていることへの感謝と、航空部の発展に寄与して頂いていることへの御礼を申し上げ、そしてこれからもご指導ご鞭撻を頂戴出来ます様お願いいたしました。
最後に桜友会旗の下、全員集合写真を撮影しお開きとなりました。
学習院大学法学研究部OBOG会
令和6年度新入部員歓迎OB現役交歓会を開催
学習院大学法学研究部OBOG会は、現役部員と協力し令和6年6月22日(土)に院内「桜ラウンジ」にて「新入部員歓迎法学研究部OB現役交歓会」を開催しました。当日は新入部員の自己紹介を含め年配のOBOGからは法学研究部創立時の話、若手OBOGからは近況報告が披露されました。また、日頃学生の指導をいただいている法科大学院の尾形 健教授より新入部員に対して温かい激励の言葉をいただき、大変有意義な時間となりました。
法学研究部は、創部以来70年余り先生方のご指導、OBOG、現役の努力により、活動は地味であるが着実に歩み続け800名近いOBOGを法曹界のみならず官界、民間企業その他社会に優れた人材を送り出しています。
法学研究部に関心のある現役生がいらっしゃいましたら、ぜひ黎明会館2階にあります法学研究部部室にお立ち寄りください。
OBOG会代表 :田中 進(昭47)
OBOG会世話役:三橋一郎(昭47)m-ichiro-cdp-inst@qg8.so-net.ne.jp
観世会OB会 先輩現役交歓舞台を開催
観世会OB会は、令和6(2024)年6月23日(日)に、五反田駅からほど近い池田山舞台にて『先輩現役交歓舞台(めだか会)』を開催しました。
昨年度は現役部員激減により部の存続さえ危ぶまれる状況でしたが、OB会挙げての新歓活動が奏功し、お陰様で8名の新人部員を獲得し、昨年度師範となられた当部活出身のOBプロ能楽師4名と有志のOB・OGが短期間ではありましたが熱心にお稽古をした結果、初々しさが残るなか堂々たる初舞台を披露してくれました。当日はOB・OG・現役合わせて素謡6番、仕舞13番、現役生・卒業生共に久しぶりに嬉しく清々しい舞台となりました。
今後も現役生とOB・OGの接点を適切に確保し、現役観世会部の発展に寄与したいと思います。
連絡先/OB会副会長 柿沼由宣(昭和59年卒)
Mail:ykaki.sagittarius.b@gmail.com
学習院観光事業研究部創成期の活動について(昭和33年卒 赤峰明氏)
令和5年(2023年)10月28日に観光事業研究部70周年記念大会を開催した際、昭和33年卒の赤峰明氏より観光事業研究部創成期についての手記を寄せていただきました。観光事業研究部にとって非常に価値のある記録と考え、ご本人承諾のもと、桜友会のホームページに掲載をさせていただきます。(昭和63年卒 山嵜仁) |
我が観研は、昭和28年に学習院高等科出身の山田、大倉、鳥居氏達が企画をし、1年先輩の蒲生氏をトップに同好会としてスタートしました。やがて日比谷高校出身の中島、井上、千田の各氏をはじめ、全国各地出身のメンバーが揃いました。部員数は約30名でうち女性は数名でした。
昭和30年に輔仁会の部に昇格しました。初代委員長は山田氏、次いで千田氏、3代目が私、そして4代目は中根氏でした。兼部は可能でした。部室は本館1階南側階段の下で10名も入ればいっぱいでした。そこで週1回、部室前の教室に集まりました。階段のカウンターを利用してパンフ等を置き、旅の相談や案内をしました。
当時、鉄道研究会はなく、鉄道好きやハイキング・宿の手配等、多面的なニーズに応じました。土曜日は半ドンで授業がありましたが、午後が大いに活用でき、半日ハイクで深大寺や高尾山などに行ったり、ソフトボールをしたり、活発で部員の結束は良かったと思います。
年間活動としては、テーマを決め、分担して取り組み、まとめて大学祭で発表しました。昭和30年が「上野駅の1日」で、当時の国鉄上野駅駐在運輸長という偉い人が学習院の先輩で、特別なバッチを付けて、1日中駅構内を動き回り、取材をしました。昭和31年は上野駅を出発して、「信越線の旅」として横川へ行き、軽井沢のアプト式鉄道などを取り上げました。また昭和32年には「軽井沢」をテーマにしました。まだ草軽電鉄がありましたし、浅間山にも登りました。
当時、日本学生観光連盟が結成されました。早稲田観光学会、慶応観光研究会、立教ホテル研究会、そして大妻女子大の5校がメンバーで相互訪問、パーティーなどで交流しましたが、いつの間にか立ち消えました。
日帰りバスツアーを実施しました。まだほかではあまりありませんでしたので好評でした。特に目白文化服装女学院に売り込み、多数の参加を得て賑やかでした。学連や他大学の友人なども参加しました。観研メンバーはGTBの腕章をつけてリードしました。
近畿日本ツーリストの修学旅行に添乗をしました。主に京都・大阪・奈良方面、あるいは三浦半島などの日帰りもあり、結構ハードでしたが、良い体験になり、収入を得ることもできました。
当時の青春歌謡の大ヒット曲、岡本あつおさんの「高原列車は行く」を折に触れてみんなで口ずさみ、部歌的存在になりました。
特記事項として、荻野屋の「峠の釜めし」の誕生にからんだことを報告します。
これは1年先輩の中島氏の提供によるものです。同じく1年先輩の大倉氏が信越線横川駅で荻野屋の弁当販売員と立ち食いそばの店員が、発車の際、客車に向かって脱帽し最敬礼をしているのを見て感激、他の駅ではそっぽを向いて売上金を数えていて見向きもしないのが普通でした。そこで大倉氏が横川駅長に感動の手紙を出したところ、荻野屋から礼状が来ました。さらに昭和32年卒数名が年末に荻野屋を訪問し、同社の2階に1泊し、売上を伸ばすにはどうすれば良いか話に花を咲かせたことがきっかけで交流が始まりました。そこでメンバーのヒントで特色のある釜めしが生まれ「峠の釜めし」として1958年2月に横川駅で販売を開始しました。そして富山の「ますのすし」、北海道森町の「いかめし」とともに日本三大駅弁になったのです。㈱荻野屋の高見沢みねじ社長が「峠の釜めし」を販売している大学祭に来られ、金一封(1万円)を賜ったそうです。
今後、観研に望むことは研究にも注力して欲しいということです。ここ2~3年、コロナで活動が制限されていたことはやむをえませんが、それまでは毎年各地に合宿をされていました。大学祭で報告展示を見ましたが、はっきり言って物足りない感じです。現地の自治体や団体とも交流をし、発展へのアドバイス、提案等を提供するなど積極的な活動をして欲しいと思います。